1999/10/02 | In fact, the one who is lonely is pitiful. | |
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| 人類が60億人を超えて数ヶ月が経った。 いたずらに命を生み出すことは良くないことだが、命を助けることはやはり良いことだ。 それはここを、死が蔓延した星にしたくないという思いからでもある。 しかしこれからは命を救うことが、他の人間の命を脅かすということが切実に起こってくるわけだ。 でも、恵まれた環境にいて、そんな余裕の固まりのような思いを浮かべている間も、 同じ感情の動物が、死の危険と隣り合わせに毎日を過ごしている。逃げまどったり、泣いたりする。 高ぶる気持ちを抑え込むように、コンビニの募金箱に小銭を入れた。
僕が馬鹿で馬鹿でしようが無くて、情に流されやすくて、このコーラを我慢するだけで、 どこかの子供達に鉛筆と紙を渡してもらえるなら、僕や、世界人類全員も、馬鹿でいて欲しい。 と、また自分を正当化してしまう。
「ボランティアなんて嫌い」と軽々しく言う者もいる。 死ななければそれなりの楽しみもある。僕らは彼らを見て、相対的に不幸と定義付けているだけだ。 僕らの国は苦労してこの地位を勝ち取ったのだから、それなりの見返りがあるのは当然だ。との見解もある。 しかし、僕らの親の世代(団塊の世代)は戦後、東京オリンピックの年までに、 unicefという団体の手によって、当時の金額で65億円程、援助を受けていると聞いた。 だから、この小銭は意味のないものではなく、私たちを生かそうとした心ある者に対して行える、 数少ない礼の表し方でもある。 と、手際よく言い分けした。
でも、日本がまたいつかぐしゃぐしゃになって、unicefが食料を持ってきたとき、 僕はそれを理由に「ありがとう」といって、素直にそれを食べることが出来るだろうか。 本当はそんなこと関係なく、日々保身しまくって、上手く生きていたいだけだ。
夜から友達が来る。今月の中旬にはもう2が出るのにAoE。 何なんだろう。 |
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