2005/05/30 21Beginning the long death


中学生時代の日記を読み返してみた。

「計画というものが大事だと思う。計画が無いと、何をしても、
それが成功だったのか失敗だったのかわからなくなる。」

と書いてあった。

人間は、自分の一生に終わりが来ることを知っている。
その一生を終えるまでに必要な食料や住居を、全て保証されていない者は、
思考と行動の多くが、その生存のことで占められる。
僕なんかはその良い例だ。

そういえば最近、裕福な友人に会った。
ただ生きることだけに精一杯でない、つまり衣食住が保証されていると、
その空気のような生存の果てにある死が、くっきりと見えるようになってくる。
すると、自分の人生を空気のようにしないためにも、死までの時間を洗練しようとするようになる。
つまり、自分の人生を一つの作品として捉えるようになる。
それは、もう既に、死を生きるアーティストだと言える。

しかし、それは衣食住に困らない人が、結果的にそういう考えになりやすいと言うだけであって、
今日を、明日を、生きぬくことで精一杯である僕のような者であっても、
自分の人生を一つの作品として捉えてはいけないという法は無い。

僕は今日、自分自身に対し、客観的になりつつも、この僕が僕から離れていかないように、
しっかり繋ぎとめたまま、やや慎重に心のキャパシティーを少しだけ広げてみる。
すると不思議なことに、どんなに困難な今日や明日を抱えていても、すっきりと楽になる。
今日と明日のシナリオを考えるのが、とても楽しみになってくる。

人生とは、長い死の始まりだ。

今日は誕生日だ。



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