2005/05/30 | Beginning the long death | |
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| 中学生時代の日記を読み返してみた。
「計画というものが大事だと思う。計画が無いと、何をしても、 それが成功だったのか失敗だったのかわからなくなる。」
と書いてあった。
人間は、自分の一生に終わりが来ることを知っている。 その一生を終えるまでに必要な食料や住居を、全て保証されていない者は、 思考と行動の多くが、その生存のことで占められる。 僕なんかはその良い例だ。
そういえば最近、裕福な友人に会った。 ただ生きることだけに精一杯でない、つまり衣食住が保証されていると、 その空気のような生存の果てにある死が、くっきりと見えるようになってくる。 すると、自分の人生を空気のようにしないためにも、死までの時間を洗練しようとするようになる。 つまり、自分の人生を一つの作品として捉えるようになる。 それは、もう既に、死を生きるアーティストだと言える。
しかし、それは衣食住に困らない人が、結果的にそういう考えになりやすいと言うだけであって、 今日を、明日を、生きぬくことで精一杯である僕のような者であっても、 自分の人生を一つの作品として捉えてはいけないという法は無い。
僕は今日、自分自身に対し、客観的になりつつも、この僕が僕から離れていかないように、 しっかり繋ぎとめたまま、やや慎重に心のキャパシティーを少しだけ広げてみる。 すると不思議なことに、どんなに困難な今日や明日を抱えていても、すっきりと楽になる。 今日と明日のシナリオを考えるのが、とても楽しみになってくる。
人生とは、長い死の始まりだ。
今日は誕生日だ。 |
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