2006/05/29 | 抜刀(2) | |
---|
| 仲間内で錦糸町。
友人Aは科学と宗教の話をしました。友人Bは信用の話をしました。 僕はその2つに一応見解をを述べた後、吸着と固執の話をしました。 友人2人はそれに見解を述べました。
その後、皆でそれぞれの趣味の話をしました。
僕達は月に15万円あれば、生きていけるでしょう。 その手法(仕事)は、ぜひ考えなければならないでしょう。
それ以上は、自分が何をしたいかに関わってきます。 何もやりたくなければ、それはそれでかなり幸せです。
しかし、人間は何かに興味をひかれ、目的を持ってしまいます。
猫を助けたい!ブタが殺されることを防ぎたい!宇宙旅行なんてムダだ! 血液型性格判断の科学的証明は嘘だ!UFOが公式に否定されたのは陰謀だ!
それらはこの所、僕が友人などに言われた言葉です。 どれも、僕はどうでもいいと思っていることですが、 話題の中で、友人が結構しつこく言っていたのもあります。 僕がどうでもいいと思っていることについて、こだわっていると、 非常にすれ違い感が漂います。
猫が助からなければ世界は終わり。 ブタが殺されてもよければ世界は終わり。 宇宙旅行が流行ったら世界は終わり。 血液型性格判断が科学的に実証されたら世界は終わり。 UFOが存在しなかったら世界は終わり。
ぐらいの勢いです。
僕はどうでもいいのです。程度の問題はありますが、基本的には、 猫が助かろうが助かるまいが、ブタが助かろうが助かるまいが、 宇宙旅行が否定されようが肯定されようが、 血液型性格判断が科学的に実証されようがされまいが、 UFOが公式に否定されようが肯定されようが、 僕にとっての地球は相変わらず回転を続け、世界は終わりません。
猫はかわいい。なぜ、猫を助けなければならないのか。それは真実でなくて美学でしょう。 ペットショップでは売れ残りの大量の犬猫が殺されるということです。 猫を助けたいというエゴを他人に押し付けるのは、ただの戦争でしょう。 猫は猫なりに生きて、繁殖し、人間が抑圧すれば抵抗するだけでしょう。 「我々は助からなければならない」なんて思ってはいないでしょう。 問題は、猫がかわいいと思ってペットショップを利用することが、 結果的にペットショップの犬猫売買&処分システムを肯定し、 継続的に殺すことに繋がってしまうということで、 僕は本当にどうでもいいのですが、猫がかわいいと思っている人が 自己矛盾に陥ってしまわないために、そういうシステムであることを知っておいた方が いいんじゃないかなと思うことです。 僕はどうでもいいけれど、猫を大事にしたいならば登録制にして、子猫を予約し、 生まれてくるのを待ち、生まれたら配布するようなことも考えられると思います。 生まれたら戸籍に登録して、定期的な健康診断など、チェックをして捨て猫を防ぐ。 そして出産数についてはバースコントロールを行なう。 そうしたら疑問は残るにしろ、一応、処分するのはかわいそうというエゴを 守ることは出来ると思います。
ブタはおいしい。反撃をしてこない美味しい生き物は、簡単に食料になる。 でも、ブタが喋ったり、他の文化圏の人々が食べるのを止めろと言ったら、 止めるかもしれません。 クジラは良い例です。食べていたけれど、食べることによって 他人の心を傷つけるならば、食べなくしても良いと思います。 ただ、少なくとも僕は、彼らがウサギを食べていても、認めます。 犬を食べていてもOKです。
宇宙旅行は確かにお金がかかるかもしれません。 しかし、目的に対して考えなければならないことを、資金的、能力的、人的などに 分けたとき、たまたま資金が多くかかるだけでしょう。価値感は多様で、 支払うべきお金の額も自由であるから、罰せられるわけでも無いし、 それを否定することは論外でしょう。やりたいことは「論」の前にあるからです。
血液型判断は実は科学的に証明されたわけではないらしいです。 血液型判断が科学的どうのは、調べてみると面倒な対立があるようで、 友人もかなり熱く否定してきたので、ちょっとヒキました。 先日、証明されたという誤解をしていた友人は、数秒の話題としてそれを出しただけで、 別にそれにこだわっているわけではないし、ましてや 科学的証明=真実などと思っているわけでもないでしょう。 それを聞いた僕も、科学的証明がされているからどうということはありません。 ただ、継続的に研究されているんだなということを感じるだけです。 そして僕は、自分のことを相手が識別しやすいよう、欠点や特徴を紹介したり、 逆に相手のそれを紹介しやすくするために、血液型の話題を出すことを これからも続けます。科学的証明がされても信じるわけでは無いし、 科学的証明がされないままでも用いないわけでもありません。
心配なのは科学的証明がされていないということにこだわる方です。 素人が科学的証明がされていたりされていなかったりということ重要視して 話を進めようとすること自体、宗教的であり、僕は途端にどうでもいいことに分類したくなります。 面倒な対立に巻き込まれるのは嫌なので、どっちが真実でも動じないことだけが重要で、 自由にやって欲しいと思っていることだけ強調したいです。
UFOについての公式的な発表も同じです。 ブランド品的な意見、公式的、科学的など、そういうものに力があると思っていることが、 「真理をこちら側の味方につけたい」という暴力的な行動です。 自分の人生にどんな見解を用いて役立てるのも自由でしょう。
朝から晩まで、猫のことを考える者。 朝から晩まで、料理のことを考える者。 朝から晩まで、宇宙のことを考える者。 朝から晩まで、血液型のことを考える者。 朝から晩まで、UFOのことを考える者。
我々は生への固執の為に、月に15万円稼ぎ、 その他の時間を自分の持つそれらへの固執に使います。 それはそれぞれの吸着と固執のテーブルで、思う存分やれば良いでしょう。 それを否定するわけではありません。
僕も、僕の好きな固執のテーブルについています。 猫のことや料理のことや宇宙のことや血液型のことやUFOのことも、 面白そうだけれど、やっぱりどうでもよくて、一生続けるのは無理そうです。
僕は今日、帯刀してブレザー派側に回ってみました。
固執は芸術を生み出します。 僕は友人の美学を守りたいと思います。
参考>万物斉同、居合、抜刀、名人伝 |
|