2000/05/04 | [cogito] argument | |
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| 仕事して、だらだらして、夜は友人と食事。
僕らは今こうして、寝GWを満喫し、余裕綽々(しゃくしゃく)で肉なんか食べてるけれど、 本当はカドをやすりで削ってある白いだけの部屋にいて、毎日朝晩に注射を打たれているのかもしれない。 いやいや、それより待てよ。「僕」なんてものは初めから無いとも考えられるな。ここに確かにいるんだけれど、 世界があるかどうかを疑っている僕までを否定することはできないはずなんだけど、 「意識」なんてものは僕の思っているワクグミでの「僕」の中には無いのかもしれない。何かの一部かもしれない。 この世界は「在る」ということ「無い」ということさえも相対的に管理できる、更に優れたOSなのかもしれない。 酔うと頭がから回りする。
無い:空白:blank: 今日の考えのきっかけ、今日の白ワインはビアンコ・デラ・カーサ。赤いのはロッソ・デラ・カーサ。 ロッソは赤で、ビアンコは白。ロッソはローズ。赤い。 ビアンコはビアンカ、ブランカ、ブランク、白、空白、無い。でもこの白ワインは確かにここにある。 そういや昔あった日清カップヌードルのとんこつ(白いスープ)はビアンコだったな。 カーサは家、デラは確か of でいいから、これはハウスワインってことかな。 カーサ?ブランカ?なるほど。カーサでブランカ。カーサでブランカ。カーサブランカ。カサブランカ。 ああ、カサブランカって白い家って意味だっけ。(高速から回り)
世界があるかどうかを疑っている僕までを否定することはできないはず:我思うゆえに我有り:cogito, ergo sum 一切のものを疑わしいとする考えに対し、疑うことが出来るということは、疑っている者、つまり「私」が 存在するということだ。という考え。デカルトが言った言葉で、世界が本当にあるのかを疑っても、 それを疑っている自分さえも存在しないと言い切ることは出来なく、その疑っている自分こそはどんな形でも確かに実在し それを中心に物事を考えていこうとすること。世界という座標の原点を(ただ一つ確かな)「我」に置く。 最初は「我疑うゆえに我有り」と言った。のちに「我思うゆえに我有り」とされる。 参考>無無、無無無 |
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