2002/06/27 | | |
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| 悪とは「有限の枠組み、限定した範囲を持つ特定のアツマリのみを幸せにする仕組み」だという言い方もできるかもしれない。 例えば、社会主義国が諸外国から悪く見られがちなのもこのためであるかもしれない。
人の言う全ての「全体」と呼ぶモノは、特定のアツマリであるだろう。 「全体」は言葉にした時すでに「一部」となっているのだろう。 これこそが性善論と性悪論の問題の核心だろう。
ここまでは既によく言われてきていることだ。
では本来の全体とはいかなるものか、 この問いに対する核心は交流についてのみ述べている従来の理論を超えるものになるだろう。 僕は、本来の「全体/部分という概念」は大きさでなく形であり、 本質は、「どれだけ全方向に均等に広がりをもった形なのか」ではないだろうかと思う。 この先、少しの間その辺を考えていきたいと思う。 |
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