2002/11/18 12Happiness and unhappiness


敵を作り、自分のプライドを刺激し、更なる向上を図ろうとする個体は不幸です。
スポーツなど、遊びであったり、他に主たる守るべき自我を持っていれば良いのですが、
自己の生活の中で守るべき重要な要素についてこれ(能力的首位を保とうとする)
を行ってしまうと、達成されなかったときにダメージがあり、
また、例えば2人で戦えば、必ずどちらかが達成できないということになります。
人より優れたいと思う心、これを喜びにしようとする心になってしまったこと、
それを作り出した環境は不幸です。
だからスポーツ選手などは、そのスポーツだけでなく、心を鍛え、
その心がスポーツをしているようにすることが大切でしょう。

さて、人間は他人を好きになります。
そしてそれは、自分が交換不可能な存在であると言うことの良い証明となります。
もちろん、誰でも良いと言うわけではなく、共有不可能な、特定の1人に対しての感情であるため、
争いを生むことがあります。
これを放棄する、例えば、最愛の人に求愛することを諦めて他人に譲るようなことは、
大抵の自我に矛盾を生みます。だから人は譲るようなことはしません。

愛する他人と同一化・一体化することが、人間にとって絶対的な幸せであり、
不幸とは幸福と相対して成ると定義できるならば、
それに失敗することは人間にとって絶対的不幸だということができます。

すなわち、人間から争いと絶対的不幸を取り除くことは永遠に不可能だということになります。

人類全体の持つ頭脳は、その争いの是非に困り果てましたが、最後には、美としてしまいました。
例えば、異性を勝ち取る争いを美としました。

そして、不幸になった側を美とするのは難しく、
物語などの大抵のエピソードではそれは別の美により誤魔化されます。
(負けた側が別の自我を見つけるような展開で)

誤魔化さなければ、例えば、記憶の中に、自分や他人が恋愛に敗れたという不幸がある時、
それは人類が誕生以来抱えている問題だと言うべきでしょう。

例えばあなたが、たくさんの勉強をして、とてもがんばって働き、人のことを思い、尽くし、そして誰かを好きになっても、
そのひとは、別の誰か、あなたのライバルや親友を好きになってしまうかもしれません。

これは回避も対処も出来ない絶対的な不幸であり、社会の中で、それを乗り越えるためには、
あなたのこころの中の愛のかたちを、少し変えなければいけなくなるかもしれません。
自分を愛することの意味について、考えることになるかもしれません。

幸い、他人を好きになる感情は時間によって移り変わります。
だから人間は、それに敗れても、続けて生きていけるのでしょう。

参考>Quasimodo:カジモド:The Hunchback Of The NotreDame
参考>The single individual:単独者:Kierkegaard:キルケゴール



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