2004/08/20 | Self Control | |
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| 暑い夏、目を閉じて全てを忘れ、自由に思考した。
この先、単純な僕の人生にて、何をして楽しむかに悩んだ。
僕は確かに動物であり、「思考する前に既にある願望」を実現しようとする。
つまり、自分が持つ理想・ビジョンが実現することが、つまり僕と言う方向性を
矛盾させないことになるわけだ。生きるというのはそういうことだろう。
そして僕は常にその「既にビジョンを持った自分」と対話している。
つまりこの意思は僕自身ではない。僕の一部かもしれない。
これは良く言われていることだ。
人間の一生に死は存在しないだろう。つまり死に向かうということは、
死を生きることである。誰かが自殺をしたいと思うとき、つまりそれも、
自己を肯定し、自我実現をすることである。
自己実現を自我実現と区別しても、自己実現もまた、
自我実現によるものであるだろう。
え?真理は自分の外にある?確かにそういう考え方もあると思う。
世界の理由、いや、「理」を我に置くか、宇宙の開闢点に置くかは、
この際別の話だ。
では例を挙げて自己実現と自我実現を区別してみよう。
「パチンコ楽しい」というのは自我であり、それを満たすのは自我実現である。
しかし、パチンコをするとお金が無くなってしまい、自分に対する言い訳などが
必要となる。だから最善手とは言えない。妥協を含む。
そこで、理性による自己コントロール:
「パチンコはやりだすとハマって、お金がなくなりそうだからしない。」
つまりパチンコを体験しない。麻薬にも手を出さない。
つまりどれだけ妥協(矛盾)の無い自我実現を持てるかが自己実現である。
そしてその矛盾は智恵によって克服することができるだろう。
しかし、繰り返すけれども、自己実現を自我実現と区別しても、
自己実現もまた、自我実現によるものであるだろう。
それは気付いたときにはもう出来上がっている。
だから教育は大事だと思う。
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