2004/09/01 | NEET | |
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| NEET(Not in Employment, Education or Training)と呼ばれる人々が多くなっているようです。
さて、実は僕は、深夜、誰もいない会社の台所でコーヒーのジャーを洗うのが好きです。
洗剤はあまり使わず、全ての食器は指で洗います。
特に、コーヒーの汚れはその方が良く落ちます。
その後、逆浸透膜で純度を99.99%以上にした真水を使って3杯分のコーヒーを作り、
それを保温時間限界である4時間以内に全て飲みます。
それをほぼ毎日しています。
僕は、今回入れたコーヒーが少し薄すぎると思い、そして次はもう少し豆の量を
増やそうと思いました。僕の夢はそれです。そういったことを実際に夢に見たことがありました。
他にも、デザイン的に棚は細いパイプのオープンタイプが良いと夢見るし、
好きなたこ焼きを食べる為に往復2時間の距離を行く夢も見て、次の日行ったこともあります。
僕が夢に思い描くスーパーヴィジョンは、明日、たこ焼きを食べに行くことです。
ふと、いつか僕は、コーヒー屋やたこ焼き屋で働くこともしてみたいと思いました。
僕には色々と趣味があって、その内、かろうじてお金になりそうなことを選び、
それを仕事にしています。それが何らかの理由で失敗したら、別の手を考えます。
もちろんそんなことが起きたら面倒なので、そうならないようにしているけれど、
実は食べていく為に、僕は結構何をしても構いません。自分にとって、
一番効率の良い方法を選ぶだけだと思います。
つまり、まず自分を色々な趣味や特技のアツマリであるとして、
結果的に何が最もお金に繋がり、またリスクが少なく、将来性があるかを
観測しようとします。同時に2つ以上でもよいと思います。
これは僕だけではなくて、実際に社会に出ている人は結構そう思っているんじゃ
ないかなと思っています。
大体働くとは何でしょう。単純に、自分の労働を特にお金に換えて、
生活を営むことではないでしょうか。
しかし、いつのまにか、この国は豊かになり、「働く」という言葉の共通の定義が、
「生活を営む手段」でなく、「自分の夢を実現する手段」となってしまいました。
「イキガイ」「ヤリガイ」みたいな、せっかく生まれてきたんだからやりたいことに
チャレンジしなければダメ的な言葉が流行し、「生活を営んで死ぬだけの人生」では、
もはや充実した人生とは呼べないということになっているようです。
先生達まで、「将来の夢は?」などと無責任な質問を、高校生までにしています。
その問いは、答えが「ウルトラマン」だとか「セーラームーン」だとか返ってくる
うちだけにした方がいいと思います。
全ての人がその夢を実現することはできず、何名かは夢を諦めなければなりません。
それは不合格であったり、不適格であったりします。その結果、
(この素晴らしい先進国で)汚い仕事、きつい仕事、つまらない仕事につくことは、
「負け組」であることを宣言しているようなものだと、彼らは考えるのでしょう。
無理に夢を持たせる教育は、絶望発生装置になります。
そもそも、「働くというのは夢のためであるべきで、生活の為だけに働くことよりも重要だ」
と、決めた時点から、彼らは既に、社会の一員であることを放棄していたのではないでしょうか。
「やりたいことにチャレンジする前に、人間はご飯を食べなければならない。」
これは自分を愛せない人は他人も愛せないということに似ていると思います。
「勝ち組」「負け組」などという流行り言葉の脅しに屈せず、
まず自分のプライドや万能感に打ち勝たなければならないと思います。
繰り返しになりますが、「働くこと」と「夢を実現すること」は、全く違う行動でしょう。
この誤解があるために、お金儲けが目的の人生が生まれてしまったりするのでしょう。
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