信仰


少し前 ひょっとしてニーチェが「神は死んだ」宣言する少し前の頃までは、
私たちの生と神は 殆ど一体化しており、それは幸せな時代であったかもしれません。
神の名の元に科学を行い 衣食住 恋愛 戦争があったのでしょう。

しかし そもそもの「宗教」と言う言葉が出来ることで、
私たちは信仰心を分離し、生の全部ではない、
一部にしたのかもしれません(ソシュール的に)

その原因の一つは 科学的な見地によって 神がどうやら居なくて 殆どにおいて 宗教が政治的なツールであったということがバレたような状況になったからでしょう


「何?おじいちゃんの命日?駅前のお菓子屋で饅頭買ってお寺行って来て!」

「お腹すいた?冷蔵庫に昨日の残りがあるからレンジでチンして!」

「虫が出た?じゃあ駅前の薬屋で殺虫剤買ってきて!」


これらは人間の論理的(科学的)な思考によってもたらされる答えです。

それは faith ではなく明らかに answer です。

忙しい中、それはやっつけで行われます。

人間にとって神さまがあった時代には、
「信仰」と言う言葉は無かったかもしれません。
疑いの余地が無ければ「信じなさい」という言葉も必要ありません。

さて、直接は関係ないのですが、その上記の発言をしている、おそらくおばちゃんの、
精神力と言うか、人間の、虚無への寛容さ、
何もないところに生きることもできる感がすごいです。

参照:忘却





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