| 様々な見解があるが、大事なものをくれる存在。正しさを知る存在。万能である存在。
このサイトでは(強いて言えば)神は論理的であることの根源だと定義できるとする。 恣意的ではない。意思を持たない。
世界を、階層的に捉えることが真であれば、 少なくとも「意志を持つ者」と「意思を持たない者」が統合(アウフヘーベン)された 概念よりも根源側の概念とする。
もし、人類よりも圧倒的に多くのできることを持っていて、 その者が「私は神だ」と言ったとき、 その者を生んだ者側に、根源側に下って行った究極の概念。
量子的・時間/質量的 であることが階層的であると仮定した時に、 同時を共有する、つまり質量側から見て無時間であることを踏まえ、 その究極に無時間側。
世界が、階層的に捉えられない、もしくは階層を根源側に下ると、 階層的に捉えられない領域に踏み込んでいるのであれば、少なくともその概念。カオス。
世界の全てが、必ずしも論理的に捉えられない、もしくは階層を根源側に下ると、 論理的に捉えられない領域に踏み込んでいるのであれば、少なくともその概念。カオス。
もし、根源的な概念が2つ以上あり、その片方が論理的に矛盾しても、 もう片方が論理的に矛盾していなければ、存在を保てるのであれば、少なくともその概念。
単純に、造物主・世界の創造主・管理的立場 という見解では、様々な誤解を生む。 それでは、コロナウイルスが作られたとして、コロナウイルスにとってはその作成者が神と言うことになる。
神という単語によって抱き合わせになる意味に注意が必要である。 例えば、自分にとって神とは、「神様仏様」の神さまであって、無限に慈悲深い。 しかし、「神を信じますか?」と問われて「信じる」と答えた瞬間、 「え?神には厳しい一面もあるよ?」と、財産を取られるような状況。
参照:ボース/フェルミ 参照:超決定論 参照:アウフヘーベン 参照:無 参照:カオス |
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