2005/10/21 | The gap | |
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| 昔の友人が、今どうしているかなと、なんとなくサーチエンジンで探してみると、 なんと歯医者を開業していた。
そういえば、まだ高校生の時、その友人は僕に歯医者になる夢を話し、 僕はそれを聞いて、またいつものように利いた風な口をきいた覚えがある。 友人は、僕の話を嫌がりもせず、いつも真面目に聞いてくれて、 僕はそれを見て、多分、ご満悦していたのだろう。
その後、僕は急速にこんな風に成り果て、秋葉界隈をフラフラ。 友人は、急速に大学、研究室、開業の道を歩んだわけだ。
僕の今の姿を見て、友人はなんて言うかな。 「キモイ」かな。それとも「けがらわしい」かな。 「知らない」かも。いや、無視だろう。そうだろう。
軽蔑されたり、失望されるのは嫌だけれど、でも、この生活を止めようとは思わない。 その理由は、良くある「でも実はこっちの生活の方が良いと思っている」わけでもない。 僕はいつのまにかコレで幸せを感じることしか出来なくなっているのだ。 いや、最初から、コレで幸せを感じることしか出来ないのだ。 つまり、嫌と思えないことが、問題なのだ。どれだけ心を全開にしても、嫌になれないことについてだ。
どこまで泳いでも、それを変えるのは多分無理だ。僕は僕の外に出ることはできない。
だからといって僕は、その友人と再び分かり合うため、僕の今の幸せを、淡々と語りはじめるのか。 相手の中に可能性も無いと分かっている美を語るのは、とても虚しいことだ。 多分、それをするよりは、一緒に歌ったり、一緒に踊ったりする方が、よっぽどいい。 何よりも前にある美しさに、遅れをとらないようにした方が、よっぽどいい。
いや、やらないよ。やらないやらない。どちらにしろやらないよ。 だって、多分僕も友人も、今のままで十分幸せだろうから。
確か、4年ほど前、最後に会ったときは「あの時、あなたが言っていたこと、今なら分かる気がする。」 と言っていた。僕はその言葉を反芻して、今日も秋葉あたりをフラフラするのだろう。 そして友人は歯を治す。ただそれだけのことだ。
だから、僕は動こうとはしない。 電話を待っているわけでもない。 |
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