2008/01/28 19桟敷席


「桟敷席」

ってご存知?ルノワールが33歳の時に書いた絵なんだけど。

2人の人間が別のところを見ている。
社交の場であるオペラで、客として参加している男女がvoigtlander(フォクトレンダー)※を使って
互いを品定めしている様(さま)を描いたものなんだけど。

(※フォクトレンダーはカメラが開発される前から、光学機器メーカーであり、
オペラグラスを開発した。ヨーロッパ中で独占販売した為、
当時はオペラグラスのことをフォクトレンダーと呼んでいた。)

http://images.google.co.jp/images?q=renoir+The+Theater+Box

1人でない、2人の絵を描いたり、写真を撮ったりする時、僕はどうしてもこの絵を思い出す。

この”距離感”が楽しい。

これもそう「フェルナンド・サーカスにて」
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Jugglers+at+the+Cirque+Fernando

「散歩」「ぶらんこ」なんかは二人が直接関係している。

http://images.google.co.jp/images?q=renoir+La+Promenade
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Die+Schaukel
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Two+Girls+Reading




「ムーランドギャレット」や「舟遊びの昼食」は、その”距離感”の集大成だろう。
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Le+Moulin+de+la+Galette
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Luncheon+of+the+Boating+Party

有名な、「ピアノの前の少女達」もそうだ。
ちなみに「ピアノの前の少女達」は、ルノワール本人が、
描き込み過ぎたと友人に言ったらしい。
確かに、ピアノのメーカーがプレイエルだと言うことまで分かってしまう。
プレイエルといえば、ショパンが当時CMで、
”本当に集中している時はプレイエルでなければなりません。”
などと恥ずかしいコピーを提供していたピアノメーカーだ。
彼女達はきっとショパンを弾いているんだろう。
バルカロールかな、いや、スケルツォかな。
http://images.google.co.jp/images?q=Renoir+Girls+at+the+Piano

「コンサートにて」なんてめちゃめちゃ素晴らしい。
「コンサートにて」は、のちにX線照射で調査したところ、
当初は男性がもう一人、描かれていたらしい。
その話を聞いて、僕はピンと来た。彼はこの部屋にまだ居るのだろう。
おそらく手前に。
奥に描かれた女性が見つめているのは、その男性の横顔かもしれない。
男性が振り向いて、自分と目が合ってしまったら、目を逸らすのだろう。
それまで、見つめていようと思っているのかもしれない。
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+At+the+Concert

関係があれば物語が生まれる。
「はじめての外出」は、オペラに初めて出かける、花束を握り締めた少女。
同伴の女性は姉だろうか。
観客席の一人が、この少女を見ている。早速見つけられたといった感じ。
異性との出会いは最初が肝心。嫌な男じゃなければいいけど。
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+the+First+Outing

そうやって思いを馳せながら、様々な絵を見ていると、
時々、その絵の中に、更にもう一人居ることに気づく。

それは絵を描いている画家自身だ。

「ジャンヌ・サマリー」なんて、全身ver.とバストアップver.があるが、
どちらも真正面から”すげえ描かれている”
そう。これは、”すげえ描かれている”女性の絵なのだ。
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Jeanne+Samary

描かれているということに気づけば、一人が描かれた絵にも、
見えなかった関係性が見えてくる。

そこで、1枚の絵に到達する。

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール」
http://images.google.co.jp/images?q=renoir+Irene+Cahen

この、致命的に美しい少女の肖像画の、
入念に、しつこく描かれた髪の一本一本からは、
この絵を完成させて、この幸福な時間を終わりにしたくないと言う、
ルノワールの想いが、それはもうひしひしと伝わってくる。
ルノワールと、絵を鑑賞している者は、同じ位置にいる。
だからライブ的に伝わってくる。

ルノワールは、生涯、悲しい絵を描かなかったと言われているが、
僕は、この絵からは、完成と共に訪れる別れからの切なさが、
(ついつい)滲み出てしまっていると思う。
彼女の横顔を、ずっと見て居たかったのだと思う。

だから僕はこの絵が好きだ。

僕はこの絵を見る度に、あらゆる雑音や、見当違いの勘繰りを、全て無視して
美を直視し続ることができたであろうルノワールの、研ぎ澄まされたアガペーを感じている。



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