| いわゆる人知を超えた、恣意的な力に対する、信仰と研究のための行為またはアツマリ。
しかし、厳密には、好きであるということの「集め」だと観測される。 「人気の神話」ということになる。 また、少なくとも今まで見かけた宗教については、真実を追求してるようなものではないと観測された。
殆どの宗教は、神が存在するということを既定している。 絶対のものがあり、変える余地が無ければ、真実は追及されない。
映画はフィクションなのであまり意味が無いが、 映画「コンタクト」で、宗教者が、「宗教は真実を追求している」と発言する。 しかしその真実の追求に、神の存在は前提だということになる。 全ての物事に疑いの余地を残しているわけではない。
これは神と人間との距離感に問題があると考えられた。 神は絶対かもしれず、それを脳で定義することは可能であるが、 それに対して人間は全然近づけていないということなのか、 それを人間がどのように知るか。
物事を理由なく信じることは一般的には危険です。 ですのでここで、「神秘的体験」というのが出てきます。信仰のきっかけです。 映画「コンタクト」の中でも語られます。 それは信仰をする者としない者の世界を分離させる、普通に考えれば悲しいことです。
ある日、家に帰ったら、空中に同人誌が浮いていたら、 むしろ絶対に、超自然的な力の存在を確信するでしょう。 しかしその体験が無ければ、むしろ絶対に、そんな力が存在することを確信することは出来ないでしょう。 (疲れて幻覚を見たのかもしれませんが)
「科学が全てではない」という論理学的(人文科学的)命題があったとします。 しかし、自分の論理だけが科学を超越するというのは間違っています。
宗教は真実ではなく、正義を追求しているように見えます。 「人間的真実」と言うと真実が取れた気になるけれど、 詭弁のように見えるので使わない方がいいと思われます。 「正義」だけで、その正当性は十分に満たされると思われます。
参照:正義 参照:神話 参照:科学 |
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