| 真実の判断に関する、自らの重要な指針について、自らの意思以外の何かによって、 直接的な関与(超自然的な手出し)は一切されていないという考え。
どのような意思決定、所属、信仰も、自分がそうすると判断したためで、 いうなれば「自分教」ということになる。
詩的に言えば、 「人間は自らが論理的に判断して出したとする答えから逃れることが出来ない。」 ということになる。
自分や誰かが行ったことの責任を問えば、 まず、自分や誰かの精神や環境が、決定的で恣意的で強力な、 自身が知らされていない手出しがされていないことが前提で、 宇宙の根源が無意志だとすれば、自分や誰かの責任はその根源と自分との間に、 一切の介入がなく、つまり「世界が存在するから」となり、 そのため、責任能力が問えるように思える。
例: ・~~するのは正しいという自分を信じる ・~~に所属するという自分を信じる ・~~神を信じるという自分を信じる
参照:導き 参照:論理的 |
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